鬼雄(夫)と私の生まれ育った地は離れており飛行機でしか行けないのであった。

よって遠距離恋愛は必須であったのだ。帰国して一年弱、若い二人は早まった。


鬼雄は、家業に入り後は嫁さえいれば万々歳といった人生設計だっただろう。片や私は、六歳下の為せっかく海外まで行ったのに何かを成し遂げたい気持ちに後ろ髪を引かれつつ、鬼一家に会ったのが最後。



どんどん話は進んだが、私の父はきっと不安を察知してか
「まずは一緒に暮らしてから少し時間を置いてから」と同棲をすすめた。

飛行機に乗ってやって来たはまさに僻地。かなりの田舎。


同棲するも、またすぐに結婚結婚っと急かされる。


「同棲なんてものは中途半端だ」と鬼父がしゃしゃり出てくる。


結果同棲から僅か数カ月で白無垢に身を包んだ。


「結婚しても、お前のしたい仕事したらいい。お前らしさを尊重するよ」


こげな田舎で何が出来るとー?!
とはいえ、私はパートに行きながらチャリンコぶっ飛ばしながら日々を過ごし。無駄に絵を描いてみたりなんやかんや生きようとした。



結婚から数カ月のある日。


鬼一家の親戚パート事務員のおばさんが体調不良の為、ババ子さん(私 仮名 笑)入ってと鬼母から直々に頼まれる。

断れない状況である。


そこから地獄が始まった。


パソコンもまあ普通に当時もOfficeは誰もが使えるはず、だが田舎町で手書き文化だったその会社。
私がパソコンでメールから給与計算からするのが気に入らなかったのか。


鬼姉の執拗なクレームが始まった。


鬼父までやって来ては、

「ババ子さん、鬼雄の靴下ビジネス用のツルツル履かせなきゃだめだ。みっともない」


小さなことを色々ほじくり出しては騒いでくださった。


鬼雄は、いつも知らないふりであった。


毎週末金曜日の夜、私達は鬼実家に呼ばれる。
一泊または二泊で。車で二時間弱の距離を、嫌で嫌で時速30キロくらいに落としそうになりながら向かう。
鬼姉は客の如く一切居間から動かない。
来客がある日もお茶すら出さない女である。


鬼母が友人と旅行へ行かれるという時は、わざわざ私一人が片道二時間弱かけて鬼一家の餌付けに向かわされた。



そんな日々に嫌気が差し、ふとどうしてお子ができないのか?!との疑問を抱き、私達は検査に行った。
結果、精子ゼロ。

私は母からもしこちらに原因があればすぐに帰ってきなさいと言われていた。跡継ぎで騒ぐ家柄であるからと。


精巣に精子があれば出てきてないだけ。
顕微授精で出来るかもと医師から言われると、鬼雄はなんともない顔で「じゃそれすればいいだけの話だ」


この時は嘸かしショックで強がっているのかと思ったが実際はいい意味でも悪い意味でも超合理主義だったようだ。



しかし、その後も鬼姉の私への罵声や陰湿ないじめが続き鬼雄に助けを求めた。

あんたのねーちゃん、こんなことしてくるー!!ってね。


「そんな訳ないだろ」
「………… 」


何を言っても本気で受け止めてくれず、私は


『この家に、この世界に私以外は全部敵だ』と悟る。まさに鬼の棲家に来たんだと。ちなみに、鬼実家はキサツタイの訓練出来そうなくらい田舎だぜっ。



鬼狩りになる前に、私は体調をくずしある日生理が二週間以上続く。

ちなみに、この頃N〇Kの受信料のピンポーンが来て私は一人だったので普通に支払った。その晩、目を見開いて怒鳴られた事がある。


「そんなもんホイホイ支払う奴いるか!頭弱いのか!ほんとにっどいつもこいつも」

受信料払ったら頭弱いらしい。


多分仕事のストレス?ぶつけられたかなとも思う。


そうそう、脱線しましたが月のものがね、鮮血が続き、頭痛が続き、倒れる。

婦人科でホルモン剤を飲み落ち着いた頃。別れを決心した。


私は自分の人生生きるんだっ。こんなトコに居るべきじゃない。


若さと勢いで突っぱねて最低限の荷物をスーツケースに入れ、飛行機に乗り飛び立った。

鬼雄は別れたくないと言った。


でも追いかけても来なかった。


この時は、もしかしたらまだ追いかけて欲しかったのかもしれない。
大事にされない、気にもされない、愛情に飢えたまだヒヨッコ若妻だったのだろう。

案の定、もめて二回行っては帰りで話し合ったが。空を飛んだり飛んだりして行き来したのは私だった。

結果なぜか鬼姉が差出人名で離婚届は受理されていた。

今覚えば、子無し20代半ばいかない離婚は身軽だった。今に比べればやり直しはいくらでも効いただろう。
ただこの時は、離婚理由ナンバーワンは鬼一家だった。鬼雄ではなく……と思っていた私。そんなこったないだろ。
離婚理由はやっぱり一番の原因は夫婦。

その現実に目を瞑り中途半端な終わりを遂げた離婚だったのかも知れない。