子供達が保育園に通い出し少しは余裕が出た頃。


また出ました。軽ーい問いかけが。


「だいぶ育児ましになっただろ」


あー、あんた何もしてないけどな、おかげで超人的な母スキル身についたわ。
抱っこひもと斜め掛けスリング2種使いで同時に二人あやす術も身についた。
背中も腹もムッキムキよ。


「まだまだ大変だけど……」
「仕事探そうと思って」


お?やっと父親として自覚が目覚めたか。よし!だったら頑張れ、いや是非とも頑張ってください。
年齢的にも再就職は厳しくなるし、空白の数年、妻の仕事手伝ってましたって実質主夫にもなれず、仕事も出来ずただの無職だったのですから。


「うん、いいんじゃない。」
「じゃ、探すわ。」


それ以来オンライン面談ばかりしていた鬼雄。

遠方の会社ばかり狙ってんのかな …… なんて思いつつまあしばらく放置していた。


ある日のこと「決まった!仕事」
おーでかしたでかした。と思ったのは一瞬のこと。


「どこ?近く?」


帰って来た答えは …… とある東南アジアの国名でした …… 。


日本でなんか働けるかと、俺はグローバルなんだと。


気になるのは発展途上国の給料相場。通常は日本から会社に頼まれて出向けば海外赴任者となり給料は日本基準または+手当がある。現地採用の場合は現地雇用された現地人+ちょいとくらいである。

鬼雄がゲットした就職先はなかなか大手の現地工場管理職であった。給料も日本基準。鬼雄は得意げでした。それはそれは、働いていないうちから、現地入りしていないうちから


「生活費は安いはずだから仕送りするから!」


結果、現地入りし工場で管理者として日本人たった一名(鬼雄)。すぐに心が折れた模様……。半年足らずで現地で無職化いたしました。



この時もまた言い訳コーナーはこんな感じ↓

・面接と話が違う

・現地人が糞だ

・俺はこんな小さな仕事しに来たんじゃない

・意味のないポジションだ会社としての運営を疑うわ



その間来た仕送りは一回だけの数万円。送金できる現地口座がない、現金送金だと手数料が高いだのありとあらゆる理由をくださいました。無論のちのちその”送金できなかった仕送るはずだったお金”は何処かへ消えたのです。私が見ることも触れることもありませんでした。


最初に入った会社を辞め、帰国したくない鬼雄は現地で就職活動を開始。

こういう時だけバイタリティーの高さには脱帽です。

結果給料13万円の現地採用に決定。



よってここから、仕送りなんて一切なし、海を挟んでの別居生活が続くこととなりました。SNSだけは更新する鬼雄。なにやら楽しそうに暮らしているようでした。片や残された私とお子達は、日々保育園と家の往復。私は仕事に必死です。だって食べていけなくなるんです。私が働かないと……。


そんな矢先、義理の両親 鬼両親がやってきました。そりゃ会いたいですよね孫に。そこは私も突っぱねる資格はないと会いました。


「鬼雄は大丈夫なのか?向こうで生活できるのか」

知らんがな!!いい年したおっさん一人好きで海外行きましたんでっせ。

そんなことより私たちの生活が……。


五万円を出産祝い?として鬼両親は置いていきました。「また何か困ったら言いなさい」と。今困ってるっちゅうねん……。


鬼雄の給料13万円ですの。じゅうさんまんえんですの。とは言いました。仕送りがなく私が頑張ってますとは言えませんでした。だって言わなくても普通わかるでしょ……。

しかし鬼両親からは『あらババ子さんが生活支えてるの?大変じゃない!鬼雄ったら何してるのかしら』なんて言葉は出るわけなかったのです。だって鬼ですから。




分からなくはないですよ……子供が生まれて、ふと我が人生振り返れば、もっとこうしたかった、ああしたかった。それは最低限やることやりながら、やろうよ……。私だって中身はいつまでたっても子供だと自分で思う、けれど子供を産めば嫌でもなんでも、親なのです。


もちろん子供の親だからとすべて”こうあるべき”とか考えると自分で自分を絞め殺しそうになる私。いいんです情けない親でも、失敗しても、怒ったり泣いたり。でも親子で笑い合える瞬間がある度に私は私を許すことにしています。←出来てないかもだけど……。


でも、鬼雄は親として逃げたまま童心に帰っただけでした……。