私は人生でここまで誰かを嫌いになったことは無い。『こんなに好きになったことは無い』という恋愛小説にでも出てきそうなセリフの真逆であることが悲しい……。


嫌いは好きの裏返しとよく言われるがそうだろうか……。そうかもしれない。でももう取返しなどつかないのである。


二十歳以上年上の友人(女性)の話だが、今の私と同じ頃子供がまだ小さい頃にご主人が浮気をしたそうな、交友関係が派手なため怪しんだこともあったそうだが、結局相手はたった一人。


浮気ではなく本気だったというヤツだ。話を聞いていくうちにハッと気づいた。

友人は浮気されたこともショックながら、その不倫相手との関係を切るのを条件に結婚生活を継続することを選んだ。しかし彼女が本当にショックを受けたであろうエピソードは、ご主人と心をもう一度通わそうと、二人でどこかに出かけようと提案したときに「そういうのいいから」と断られた時であったように聞こえた。


本人はそう思って話していないが、聞いている私にはそう聞こえた。

自分が大事にしていたものが壊されたり、自分を大事にしてもらえないことが一番悲しいのかもしれない。こんなはずじゃなかったーーー!って。


ただ、うちの場合はモラ気味なわけで。超柔らかく言うと価値観の違いが激しく、大事にするものも大事と思えるかも、そもそも人間とはなんぞや?人の心とはなんぞや?から始めなければならない程だ。


しかも話したところですべては平行線の会話。一切交わることを知らない、理解し合うことなど不可能だったのだ。



タイトルの人を嫌いになるということ


このブログもそうかもしれないが、モラハラ関係のツイッターやブログを見ていると。みんな悩んでるよ。苦しんでるよ。心の叫びをもはや呟きではなくサケッター(叫び すいませんダサい)状態。


私自身も、鬼雄が家にいる度、その個体がうろうろ動くたび、口を開くたび、虚勢を張って構えている。一言一句に心の中で反応して……。結果自分の心が暗くなる。表情も暗くなる。


生活の中で小さな感謝、小さな感動に気付き生きていければ幸せかもしれない。けれど小さな不満、小さな不安、小さな悲しみ、小さな怒りが集まって大きな怒りになるのを待ち構えているのは己の心かもしれない。



そんな日常を自分一人の心の持ち方で変えられるのなら苦労しない。自己啓発に勤しめばいいのかもしれない。けれど結婚には相手がいるのだ。心持でごまかせないモラ夫がいるのだ。


もちろん選んだのも自分。けれど我慢するのは自分一人っておかしいのではないかと思うのは自然なこと……。



私は一度鬼雄と離婚している。その時、昔からの共通の友人複数を会うことがあった。日本人から外国の友人まで、日本語英語両方で言われたのが「ババ子は鬼雄が居ないほうがババ子らしいね。こっちのババ子の方が好きだわ」とよく言われた。言葉の壁があっても理解してくれるのに、当の本人同士はなんでやろか……。



自分を押し殺し、無意識に相手に合わせてきたのだろう。これがいわゆるモラハラのパートナーをもつ人に多いのだろうが。


なんとか一日も早く負の連鎖から抜け出したい。


嫌な自分にならないように、抜け出そう。


人を嫌い続けると、嫌うことばかりを考える人間になってしまいそうで怖いのだ。